研究活動紹介

研究テーマ「持続可能な社会づくりのための環境教育の推進~環境教育によって育む学力と環境保全意欲~」


~環境問題と新型コロナウイルス~

 未曽有の事態に直面している世界である。新型コロナウイルスの世界的蔓延は、私たちの市民生活、経済活動、衛生概念を根底から覆す事態を引き起こしている。今後も感染者数の増大は繰り返すことは必至であろうし、長期的な戦いは避けられない。治療薬やワクチンといった特効薬の開発の情報ももたらされているが、現状では終息の絵地図は描けない。コロナ前後で、世界の在り様が確実に変わったといえよう。人類が不安を覚えている。
 これまで東京都小中学校環境教育研究会は、人類の行き過ぎた社会活動が引き起こしてきた環境問題に警笛を鳴らし、持続可能な社会への改善を試みる教材化を進め、授業実践を重ねてきた。地球温暖化やフードロス、海洋プラスチック問題などである。これらに取り組む中で、私たちの実生活はどう変化したであったろうか。授業準備を進めて授業実践を行う時、うだるような暑い夏の日の午後、日々の給食や恵方巻等の残菜を目の前に抱えた傍、行楽で河川や海に出かけた楽しい折、私たちは当然ながらそこにある環境問題のその惨状に目を覆い、「それでも」「どうしても」何とかしなければと奮い立ち、突き動かされ、見えざるものに使命として後押しされて研究を進めてきた。しかし、滔々とした日常生活の中で、時にそれは途切れ、消沈することもあった。授業実践で子供たちと思いを一つにできたと実感し、幾ばくかでも使命を果たせた高揚感を得ることがあった時ですら、地球規模の温暖化や残菜や商店のペットボトルの陳列数が大きく変化する筈もなかった。そればかりか、枯れ葉舞う季節になれば温暖化の意識は薄らぎ、日々の給食の完食に一喜一憂し、スポーツドリンクはペットボトルを手にせざるを得なかった。地球自体や人類を脅かす環境問題は歴然としてそこに存在し、足元まで日々迫りつつある。私たちもそれに関心を寄せてはいるが、季節や地域、時々でその体感や使命感に温度の幅があったことは否定できない。しかし、世界を席巻している新型コロナウイルス、言うなればコロナ禍は、これまでの事象とまったく趣を異にする。すなわち、私たちが生活する上で避けることのできない連続した制約や制限、意識変革を否が応なく生じさせていることである。季節や地域、時間に関係なくである。言い方を変えれば、環境問題に関する私たちの関心や意識の都合の良い逃げ場を封じる事態である。それはまるで、このままでは持続可能な社会はない、と、誰にでもわかる刃を向けているようである。


~公害は終わってはいない~

 翻って、1950年代から1970年代にかけて日本を揺るがした水俣病を筆頭とする公害病は、現在のコロナ禍と趣を同じくする。その発生こそ限られた地域ではあったが、それに対する不安や偏見、見通せない終息、意識改革の必要性は社会を変革した。法整備による企業の環境対策が進み、環境保全意識や環境倫理といったパラダイムシフトが進んだことは、誰もが知るところである。時を同じく昭和39年(1964年)、光化学スモッグに侵されていた東京に再び澄み切った青い空と子供たちの健康を取り戻そうという理念のもと、東京都小中学校公害対策研究会が発足した。私たち東京都小中学校環境教育研究会の前身である。かつて小学校社会科の教科書に掲載されていた「公害問題」は、現在は資料的な扱いとなって姿を残すのみとなっている。公害問題は終わった過去のものなのであろうか。公害、環境問題、新型コロナウイルスは、けっしてそれぞれ固有の問題ではない。私たちの社会活動が根源にあったり、社会活動によって蔓延と言う増長を招いてしまっていることを考えれば、環境問題といって差し使え無いであろう。歴史家で、永く水俣病研究を進め、「不知火海総合学術調査団」の団長も務めた色川大吉氏はこう述べている。「公害が古くさいテーマだなんてことはない。地球温暖化も核のゴミもプラスチックの海洋投棄も、全て公害。人類がもたらした罪の解決に向けて、一人一人が自分の問題として向き合うべきだ。(R2.11.13 朝日新聞)」と。公害は、終わってはいない。


~脱プラスチックは善であるのか~

 東京都小中学校環境教育研究会では、昨年度からテーマを「脱プラスチック」とし、まず中学年の指導カリキュラムを作成・実践した。その中で、私たちの生活に大きな恩恵をもたらし、ゼロにすることは事実上不可能であるプラスチックの存在自体が全て悪ということでは決してないことを実感した。違う側面、異なった角度で物事を見ること、つまり多面的な視点をもってプラスチックの存在を考えると、存在そのものではなく要はその使い様こそが課題であることが見えてきた。そして、これまでの環境教育の主流であった受け手(消費者)目線での指導カリキュラムでは不十分であることも鮮明となった。受け手(消費者)目線でのカリキュラムに沿った学習では、その結末において、プラスチック製品はリサイクルに回す、プラスチック製品(ストロー等)はできるだけ手に取らない、等のアクションをとることが常套であるが、サーマルリサイクルを除くと、プラスチックが純粋に資源として再生されるリサイクル率は25%たらずであり、受け手(消費者)目線での限界は明白なのである(「プラスチックを取り巻く国内外の状況」~H30.8 環境省)。教育が受け手目線に留まるのなら、SDGsの目指す2030年までの実効性はあるのだろうか。その実現のためには、「持続可能な社会づくり(ESD)」を実践できる人材育成を意図した、送り手(製造者、政策)目線も含めた、多面的な指導カリキュラムを推し進めていくことが必要不可欠なのである。
 コロナ禍による休校により、効率的であることが優先された今年度の教育活動の実施で十分な実践となってはいない面もあるが、昨年度作成した中学年モデルの指導カリキュラムをさらに発展させ、高学年モデルを検討した。今年、プラスチック関連の話題となった、ある製菓メーカーのチョコレート菓子の紙包装化や、高校生によるお菓子のプラスチック包装削減を求める署名への回答が神対応と称賛されたことなどからヒントを得て、商品包装からプラスチックを考える試みを行った。プラスチックが社会に爆発的に浸透していった最も大きな理由が商品のラベリング(商品包装)であることからも、妥当な導入となろう。醤油や清涼飲料水、石鹸等、容器や包装に多様性のあるものを題材として、一番エコな包装はどのタイプなのかということを、まず出発点とした。エコという視点のみから考えれば、ペットボトルよりはリサイクルが容易な缶、缶よりはリユースできるビンがエコであることは明白である。しかし、児童の視点で、実際の生活に即して考えてみると、衛生的に安全、ペットボトルの方が過剰包装ではない、こぼさないので無駄にならない等、必ずしも素材そのものがエコであることが善であると言えない状況が垣間見られることとなった。折りしも、コロナ禍において衛生面がクローズアップされている現在である。前出のように、昨年度の研究から、一側面をもってしてプラスチックの存在全てが悪であるとは私たちは考えてはいない。そして、実際に脱プラスチックを推進しようとした時、衛生面や過剰包装、フードマイレージ(フードロス)といった問題も密接にかかわることになり、まさに環境ジレンマを生じさせる。さて、私たちは脱プラスチックに向けて、どのような戦いを挑むべきなのであろうか。


~私たちにはESDがある~

 プラスチック問題は、差し迫った喫緊の問題である。それは、今後の排出をゼロにすれば、自然治癒力に期待して改善されていく可能性を僅かでも秘めた地球温暖化とは趣を異とする。排出されたプラスチックは、回収しない限り存在していく。また、最終的な処分方法の課題はあるにせよ、その区域の放射性物質や有機水銀を排除すれば、新たな惨劇を一定程度防ぐことができるといった地域限定的な問題でもない。新型コロナウイルスと同様に、地球規模での対策が不可欠な問題である。一方で、児童・生徒にとって目に見える形となって実感することのできる事象として存在し、未来の地球や人類の存続に繋がるアクションへと変容させていく可能性を秘めた、環境教育の旗印となりうる問題でもある。そして、そこに取り組む教育の視点が、エコ、衛生、安全、生活形態、社会通念、食糧問題等、多岐にわたる課題を包含し、解決の糸口の見えないものであることも明らかである。これは即ち、ESDそのものではないのであろうか。国連の掲げるSDGsの達成に全力で取り組むべく、学校教育というテリトリーでESDを推進していかなくては、私たちに明日はない。新学習指導要領の前文には、「持続可能な社会の作り手となることができるようにする」と記されている。この先の世界をどうしていきたいのか、そのためにどのような人間を育てるのか、そのビジョンをもたない教育は、持続不可能な地球を増長させていく。公害の滅失、持続可能な社会の実現、2030年までの目標としてのSDGsの達成には、数ある問題に主体的に立ち向かい、発信、行動する人間が絶対に必要なのである。その人材育成のために必要となる学校教育の学習活動の根幹は、学校経営に直結した「総合的な学習の時間」である。GAP(グローバルアクショクプログラム)やホールスクールアプローチ、カリキュラム・マネジメント、ESDカレンダーなどに基づいて、未来を構築する学びを実践するために「総合的な学習の時間」の果たすべき役割は大きい。
 本研究会では、これまで持続可能な社会づくりに貢献できる人材育成のために、環境教育を推進してきた。その理念や指導法などについて普及啓発の取り組みも重ねてきた。これまで本研究会が取り組んできたESDの授業概念を盛り込み、持続可能な地球に向けての小さな一歩を積み重ねてゆくべく、誰もが実践できる指導計画例を作成した。環境教育とは何か、ESDとは何か、学校現場が来るべき私たちの明日に向けて迷うことなく前進するために、本研究を生かして欲しい。


<研究の方法>
(1) 役員定例会で理論構成を行う。
(2) 本研究会で作成した「新しい環境教育」で示した児童・生徒の3つの能力・態度をもとに、研究部定例会において指導内容検討、指導案作成、授業実践を行う。
(3) 東京都小中学校環境教育研究会の研究発表校や外部機関と連携をし、研究実践を深める。

<研究の内容>
≪理論構成≫
(1) 環境教育やESDの優良事例を分析し、学校経営や授業の在り方について検討し、推進する。
(2) 幼稚園・小学校・中学校の発達段階に応じた、学習活動のねらいや方法を研究する。
≪実践研究≫
(1) 「新しい環境教育」の3つの能力・態度をもとにした実践を行う。
(2) 環境教育やESDによる自己の変容について研究を深める。児童・生徒が自らの思いや考えを明確に意識し、その変容を捉えることができるように、ポートフォリオやイメージマップ等を取り入れた学習方法とその評価方法に関する研究を深める。

<私たちとともに>
 “環境ジレンマを感じるから難しい”ことは、これまで環境教育が敬遠されてきた一つの原因であるが、ことESDに即せば、それはまたとない題材であり、過程になる。環境教育の授業、ESDの授業の答えは一つではなく、かつ、明確な答えはない。目指すものは、私たち、そして子供たちが、未来に向けた今までと違った価値観の、より良いシステムの社会を創造していこうとする意志の醸成そのものである。新学習指導要領の謳う、“資質・能力”、そしてあえて付け加えるならば“態度”の育成は、まさにこのことではないだろうか。
 私たち東京都小中学校環境教育研究会は、これからも、澄み切った天高い青い空を東京に、そして世界に広げるため、ESDの手法を用いた環境教育を進めていく。手を取り合い、それがたとえ小さな教育活動であったとしても、持続可能な社会の創造を信じて取り組んでいきたい。